「アメリカでステーキを食べたら和牛じゃなくて“WAGYU”だった」というケースが、筆者の周りで多発している。日本人としては、「和牛は日本産」という認識が一般的だと思うが、ワシントン近郊のレストランや小売店などでは、「アメリカンWAGYU(和牛)」という表示をよく見かけることから、こちらではそうではないようだ。改めてそもそもの「和牛」の定義を調べてみると、農林水産省のガイドライン上では、日本で「和牛」と表示できる牛肉は以下の要件を満たすことを証明・確認できるものとされている。
①品種に関する要件
・黒毛和種、褐毛和種、日本短角種、無角和種、それら同士の交配種のいずれかであること
②地理的要件 ・日本国内で出生し、日本国内で飼養された牛であること 出典:農林水産省「特色ある食肉の表示に関するガイドライン」(平成19年3月) |
つまり、日本の店頭で目にする「和牛」は、基本的には、日本で生まれ、育てられた、特定の品種の牛にということとなる。私たちの認識もそれに近いものであろう。
一方、米国ではどうだろうか。同僚の米国人に「WAGYU」のイメージについて聞き取りをしたところ、「飼養法が特別で高品質」、「味のいい品種」などといった品質・品種に関する認識がほとんどで、「日本」が真っ先に浮かぶ人はいなかった。「WAGYU」という呼称には地理的な意味合いは薄く、品質や品種等に関する一種のブランド名となっているようである。
そもそも、米国における「WAGYU」は、1976年から1998年の間に輸入された日本産和牛の遺伝資源(生体247頭、凍結精液1万3千本)を利用して生み出され、引き継がれているものだと言われている1。市場に出回っている「WAGYU」の中には、米国アンガス牛との交配により作出された個体の肉も出回っているため、上記の日本における定義に基づけば品種に関する要件も満たしていないものも多いが、多少なりとも和牛の血が入っているものについては、「WAGYU」と称して販売されているようである。日本人である筆者の個人的な感覚からすれば、これらの牛を「WAGYU」と称することには大きな違和感があるが、米国人が「WAGYU」を品種の名称であると捉えているとすれば、主張の背景自体は理解できなくもない(賛同はできないが)。
しかしながら、どうしても理解に苦しむのは、「アメリカンKOBE BEEF」だ。日本で「神戸ビーフ」と名乗るためには、産地が兵庫県であることは当然のことながら、脂肪交雑(霜降り)や肉質等に関する厳しい基準を満たすことが必要である。しかしこちらでは、アメリカ産であっても「KOBE BEEF」として堂々と販売されており、「KOBE」も品種であると理解されている事例が多いようだ。筆者が食したところ、肉質は固く、旨味も少なく、品質は本物の「神戸ビーフ」とは似ても似つかないものであった。
和牛の血が多少なりとも入っている「WAGYU」とは違い、この「KOBE BEEF」は、全く関係のない場所で生産されただけでなく、血統も全く違う牛の肉であり、「神戸」を名乗る資格は全く無いと言える。しかしながら、米国人はこれを「神戸ビーフ」だと思って食すわけであり、このような商品が出回れば、本物の「神戸ビーフ」のブランド価値が大きく損なわれることが懸念される。
店頭に並ぶアメリカン「KOBE BEEF」。サシは全く入っていない。価格は1ポンド15.99ドル=100グラム約3.53ドル=約400円2
こうした問題に対処するためには、本物の「神戸ビーフ」を保護する施策が必要であるが、これまでに欧州連合(EU)を皮切りに、地域の特産品の名称を保護する仕組みとして、地理的表示(Geographical Indication, GI)保護の仕組みが整備されてきている。
「地理的表示」とは、地域において長年培われた特別の生産方法や気候・風土・土壌などの生産地の特性により、高い品質と評価を獲得するに至った産品の名称のことを言う。ヨーロッパにおいては、長い歴史を通じ、地域の気候・風土の中で多様な特産品が生まれてきており、こうした地域との結びつきに関する特徴等の条件に合致した特産品は、制度において登録を受け、その名称(地理的表示)が保護される。
具体的には、例えばブルーチーズの一種である「ゴルゴンゾーラ」は、イタリアのピエモンテ州およびロンバルディア州にまたがる定められた県において、地域産の原料を使用し、定められた製法で生産されるチーズの地理的表示として保護されている。また、「プロシュート・ディ・パルマ」(いわゆるパルマハム)は、イタリア・パルマ地方において伝統的な製法で作られた生ハムの地理的表示として保護されている。
地理的表示が保護された産品については、その他の地域において生産された場合などは、「ゴルゴンゾーラ」や「プロシュート・ディ・パルマ」と表示することはできないこととなっている。また、「ゴルゴンゾーラ風、パルマタイプの・・・」などの間接的な表示も認められていない。したがって、他国で生産されたゴルゴンゾーラ風のチーズをEUに輸入した場合、その商品名に「ゴルゴンゾーラ」という名称を使用することは一切できない。EUでは、この制度により、偽物がブランドイメージを脅かすことを防いでいる。
ヨーロッパ同様、我が国でも、長年の歴史と伝統の中で、全国各地において土地土地の特性を生かした多様な特産品が生み出されており、そうした特産品の地理的表示を保護するため、2014年に「地理的表示法」が確立された3。なお、本項で取り上げている「神戸ビーフ」についても、この制度による保護の対象として登録されている。
日本の地理的表示保護制度により保護された産品に付けられるGIマーク(農林水産省ホームページより)
ヨーロッパからの移民が国の礎を作り、建国後まだ歴史の浅い米国では、ヨーロッパ発祥の名称を用いた産品が生産・販売されている例が少なくないという状況を抱えている。例えば前述の「ゴルゴンゾーラ」は、ヨーロッパではイタリアの定められた地域のものしかそう名乗ることはできないが、米国では「アメリカンゴルゴンゾーラ」も店頭で多く販売されている。
こうした状況の中で、もしEUと同様の地理的表示保護制度が導入されれば、同制度で保護されたヨーロッパ発祥の名称は、米国産には使用できないことになり、米国産品の販売が大きく制限されることとなる
そのため、米国の生産者サイドでは、地理的表示保護に対して反対する声が強く、例えば全米最大の酪農生産者団体である全国生乳生産者連合会(NMPF)と、全米の生産者や乳製品製造・加工・輸出業者等で構成される米国乳製品輸出協議会(USDEC)は、「(地理的表示保護制度は)一般的となっている名称の使用を制限し、米国の競争力を削ぐものである」と断じた上で、米国政府に対し「現在米国市場で一般名称と認識されているものについて新たな制限が生じないようにすること」を要求している4。
こうした考え方を持つ米国に、地理的表示保護の概念を受け入れてもらうことは極めて難しいようで、現在進行中の米・EU間の環大西洋貿易投資パートナーシップ交渉においても、地理的表示は主要な難航課題の一つとなっている。また、米国が妥結内容に大きな影響力を発揮した環太平洋連携協定(TPP)においても、各国による地理的表示の保護について認める一方で、それらへの異議申し立て・取り消しなどの手続きが入念に設けられ、不利益が生じる場合には対処する仕組みが用意されており、こうしたことからも、地理的表示に対する米国の姿勢を垣間見ることができる。
これまで見てきたように、米国においては、「『WAGYU』は日本原産だから、アメリカンは本物ではない」などという考え方はほとんどなく、現時点では残念ながら米国で和牛と称されるものの多くがアメリカン「WAGYU」である。安倍総理が訪米した2015年4月の日米首脳会談後の晩餐会でも、提供された牛肉はアメリカン「WAGYU」であったというから、いかに当たり前のものになっているかが想像できる。
一方で、ワシントンDC当地のレセプションなどで日本産和牛を味わった米国人に印象を聞くと、総じて日本産和牛とアメリカン和牛の味は全く違うと驚きながら、とりわけ、柔らかく口の中で溶ける肉質や、味わい深い・香り高い(flavorful)といった風味を高く評価する声が多く聞かれた。和牛は日本原産という理解は無くとも、実際に食べてもらえば、日本産とアメリカンの品質の違いははっきりと感じ取ってもらえるようである。したがって、アメリカン「WAGYU」がスタンダードとなってしまっている逆境の中で日本産和牛を振興していくためには、まずもって、本物を実際に味わい、違いを理解してもらうことが重要ではないか。
また、そうした和牛には、「神戸ビーフ」などの銘柄牛も含まれるが、和牛の人気が高まって消費が伸びても、アメリカンの牛肉にそれらの名称を自由に使用できるままでは、アメリカン「KOBE BEEF」などの氾濫を許し、消費のパイを奪われてしまいかねない。そのため、輸出拡大にあたっては、地理的表示の保護と輸出拡大をセットで進めていくことが必要であると思われる5。
なお、アメリカン「WAGYU」が普及している理由の一つとして、日本産の本物の和牛と比較し、価格が相当程度安いことが挙げられる。事実、前述のレセプションにおいても、相場を伝えると「価格が高すぎると手が伸びない。ある程度手の届く価格帯にしてほしい」との声も聞かれた。実際に、ワシントンDCのある高級ステーキハウスの例を見ると、日本産宮崎牛の価格は、1オンス(約30g)=36ドル=約4100円である一方で、同じ店でのアメリカンWAGYUは、高級部位Rib Eyeでも1oz=6.5ドル程度であり、価格差は5~6倍となっている。
米国でも高所得層の部類に入ると思われる同レセプションの参加者でさえそのような感想であったことから、アメリカン「WAGYU」に競争で打ち勝っていくためには、流通方法を工夫するなど中間コストを削減し、価格差を詰めれる体制を作りながら、日本産和牛のブランド価値・プレミアムを守れるような、少し贅沢すれば手の届く価格設定で購入して頂けるPRができるかが課題となってくるのではないかと思われる。
米国では、まだ日本産和牛を提供しているレストランや販売している小売店は多くはないが、和食をはじめ日本の食文化に対する注目がますます高まっている。こうした追い風にもうまく乗りながら、米国における本物の日本産和牛の消費がこれから一層広まっていくことを期待している。
【出典】
1 農畜産業振興機構 「畜産の情報」(2015年2月)
2 1ドル=114円で計算
3 「特定農林水産物等の名称の保護に関する法律」(2014年6月成立)
4 TPPに関する米国通商代表部(USTR)の意見募集に対する意見書(2013年5月10日)
5 なお、日本産牛という意味での「和牛」という名称については、「日本」という国レベルの結びつきこそあれ、特定の地域との結びつきは無いため、地理的表示制度のもとで保護することは現制度上は出来ず、あくまでも地域レベルの銘柄牛の名称として保護する必要がある。